2024.09.16「敬老の日」に思う
本日9月16日は「敬老の日」です。
きっと全国ほぼ高齢者関係の施設では
この日を前後に「敬老祝賀会」が開催
されていることでしょう・・・。
全国の施設ブログやインスタ、フェイスブックは
間違いなくこの様子ばかりで溢れることでしょう。
うちも今日一日かけてケアハウスと特養の
「敬老祝賀会」が催されました。
ここで批判を承知で私個人の思っていることを
書きたいと思います。
私は学校を出てこの業界しか経験を
しておりませんが、当時から「敬老祝賀会」なる
ものは毎年開催されていました。
敬老の日を目がけてお孫さんやご身内から
お花の届き物がたくさん届いていましたが、
今の時代はほとんど無くなりました。(一切ではなく
ほとんどです。入居者の誕生日にはたくさん届きます!)
当時は明治大正の年代の方がほぼほぼでした。
私も昔、金太郎に扮して舞台で寸劇を披露しました。
もう25年以上前のことです。
一方、この間、世の中は大きく様変わりしてきました。
子ども、親、家族、学校、先生他社会全体が。
いつの間にやら学校から教壇がなくなり、聖職であった筈の
先生より保護者の方が強くなり、個人情報に敏感すぎる
世の中に変わってしまいました。
高齢者福祉の世界ももちろん変わっていきました。
4人6人部屋が主体であったものが、個室主体の造りに。
プライバシー対応やケアの手技、仕方等も。
私がこの仕事を始めたころ「青い山脈」「リンゴの唄」のように唱歌や
童謡主体のカラオケだったものが、今やすでに洋楽やシャンソン等を
歌われるようになっていっています。
「松田聖子」さんや「中森明菜」さんに
変わっていくのも時間の問題です。
そのような中、ここで僕がこの先施設に入居したら
今のスタイルの「敬老祝賀会」を
果たして心から望むだろうか・・・
それよりも「子供や孫やひ孫に囲まれて旨いものを
部屋で食べたい」と思うのだろう。きっと。
訳わからないスタッフからの「おめでとう!」より
子ども、孫、ひ孫からの「おじいちゃんいつまでも
元気でね」と言われた方が何倍も生きる活力となるのでは?
と思ってしまいます。
我々の勝手なエゴでは?と。
100歳を迎えられる方が内閣総理大臣から頂かれる
長寿のお祝いは別として、喜寿、傘寿、米寿、卒寿等々を
施設長名や理事長名でお祝いして本当に喜んで下さって
おられる方は何人いるのだろうか?
そのうちご家族から「親の年齢等を大勢の前で公表しないで!」
とお叱りを頂くことも出てくるのではないだろうか、と。
スタッフは毎年、業務終了後、深夜まで祝賀会の準備や
余興の練習に余念がないが、果たして入居者皆さまは
心から笑って下さっているのだろうか。
僕個人はコロナ前にご家族様もご招待して開催していた時は
十分に開催する意義はあったと思っています。
リーダーから指名され嫌々行事を計画して遂行していく
のではなく入居者、ご家族の思いを汲み取った時代に即した
行事計画を今後もスタッフ共々模索し続けたいと思います。
この感覚って大切だと思うのです。
是非スタッフの皆様もちょっと考えてみて欲しいのです。
「老人ホーム」=一年で最も重要な日「敬老の日」=
「敬老祝賀会」で施設全体でお祝い(?)
という感覚から頭を離していくことも時には
必要ではないのだろうか・・・。
そんなことを言いながら、今回初めて参加された方が、
「こんなに盛大にお祝いして貰って勿体ない。最高!」と
マイク越しに仰られた言葉を聞くと、益々私の頭が混乱してしまいました。
兎にも角にも今年も大いに盛り上がりましたよ!
日々敬う気持ちを持ち、今日は「プロとしてケアにあたっている全スタッフと
入居者、ご家族と共にお祝いをする日」という位置づけで
深く考えなくてもいいのでしょうか?
是非皆様からもご意見等お聞かせ頂けましたら
有難く存じます。
施設長 高階和洋